無趣味人間の好きなもの語り

趣味と言えるほどではない。

アンジャッシュ児島のメイク動画に癒される

 2020年、アンジャッシュ渡部健の不倫に対する世間の怒りと嫌悪感の裏返しとして、相方である児島の好感度が上がったことが、「渡部バブル」などと呼ばれていた。

 今回は、アンジャッシュ児島のYoutubeチャンネル「児島だよ!」の中でも、特に、2020年7月から一定期間ごとにアップされ続けている、メイク動画について語る。

 

わからないものを馬鹿にしない

「児島だよ!」チャンネルで一番最初に上がったメイク動画は、最強デカ目になれる地雷系メイクしたらガチ盛れたんだけど…🥺♡である。

 トランスジェンダーによるビューティコンテスト『ミスインターナショナルクイーン』の日本予選大会でグランプリを獲得したvanさんをアシスタントに迎え、指示を受けながら、児島が自分でメイクをしていく。

 

 まず尊敬するのが、わからないものを馬鹿にしない姿勢だ。

 児島はもともと美容に気を遣っており、ヨガ本なども出版しているが、コスメに対する知識は薄い。最初は「これで良いの?」「怖い怖い」と言いながらも、興味を示しながら取り組んでいる。回を重ねるごとに少しずつ手慣れていくのが微笑ましい。

 

 特筆すべきは、驚くほど否定的な発言をしないこと。

 女性向けのメイクをするなら、「男性なのに化粧してみた笑」というふうに、笑いに転換しても不思議ではない。特に、お笑い芸人なら、そういった空気の方が慣れているのではないか。しかし、そんなおふざけは一切ない。

 メイクという「女性がする何だかよく分からないもの」に土足で上がり込むのではなく、メイクに対して素直な感性で興味を示している。

 

 例えば、ハイライトを使うと鼻が通るのを「毎回不思議なんだよな〜」と感動したり、アイホールにラメを入れて「キラキラってするとテンション上がるね」と言ったり。

 それは、私たち女性が見様見真似でメイクを始めた頃の感覚に近い。母親のポーチの中から高価なリップをこっそり拝借したり、雑誌やネットでテクニックを学んだりした。そういう、メイク始めたての初々しさが垣間見える。

 

 人は、自分の興味のあるものに、誰かが同じように興味を示してくれると嬉しい。

 普通は注目される、興味を向けられるはずのYoutuberが、逆に視聴者に対して興味を示すことで好感度をあげている。面白い事例だ。

 

美容にこだわる男性の魅力

 小さい頃、父が夜な夜な化粧水と乳液を塗っているのを見て、母が「あの人はどうも女々しいところがあるのよね。男はガサツなぐらいがちょうどいいのに」と言っていた。

 では、仮にガサツで男らしければ、肌がぼろぼろで不潔でも良いのか。母に面と向かって聞いたら、なんと答えただろうか。

 女性は男性に清潔感を求めている。美容に気を遣える男性を格好いいと思う。それは女々しさとは何の関係もない。

 

 そもそも、化粧水や乳液を使うことを「女性らしい」と言うのがナンセンスだ。美容に気を遣うことは、エチケットであり、セルフマネジメントの一環である。

 男性が女性らしさに寄せるのではなく、男性は男性としての格好よさを追求した結果として、美容やメイクという手段を取り入れる。そういう時代だ。

 

 児島だよ!チャンネルの末恐ろしいところは、若い人達にそのような姿勢が受けることを敏感に読み取っていることだ。女性にあからさまに媚びずに、程よく「美容に理解のある児島」を表現している。

 だから、「男だけどメイクしてみた」とは絶対に言わない。タイトルでは「児島だけどメイクしてみた」と表現されている。

 

「落ち着いた大人」を見る心地よさ 

「40代男性がメイクをする動画を見るのが好きだ」と言うと語弊があると言うか、おかしな誤解を生みそうだが、それは本質ではない。

 男性のメイク動画自体に、ましてや人気アイドルでもない人のメイク動画に、大きな需要があるとは思えない。申し訳ないが、日常的にメイクをしている女性にとっては、参考にするなら他の美容系Youtuberがいくらでもいる。

 

 児島のメイク動画には、落ち着いた大人の男性を見ることによる癒しがある。

 Youtubeでの児島の姿は、バラエティ番組で他の芸人達と絡んでいる時の彼とは印象が異なる。良識ある落ち着いた大人の顔を見せる。視聴者の年齢層がテレビよりも低いはずのYoutubeで落ち着いたキャラを見せ、それがウケているという現象が面白い。

 

 新しいことに挑戦して、素直に新しい知識を吸収している姿を見て、勇気をもらう。分からない物事に対して拒否感を抱くのではなく、興味を示したり、自分なりに知ろうとする姿を見て安心する。

 まさか40代男性のメイク動画で「落ち着いた大人の男性を見る癒し」を得られるとは夢にも思わない。サムネ詐欺もいいところだ。そういった意味でも、この動画はまだまだ伸びる可能性がある(と言うか、まだまだこの魅力に気付いていない人が多いのではないか)。

 価値観の押し付け合いや、若いノリに疲れた時などは、児島のメイク動画を是非。

 

匿名ラジオが提供する「仲が良い同僚」という夢

 先日、匿名ラジオについての記事を書いた。

maruno.hateblo.jp

 あれからも毎日のように匿名ラジオを聴いているのだが、ふと、パーソナリティであるARuFaと恐山の仲の良さが気になった。

 匿名ラジオは現実逃避の効能が高いのだが、2人の類稀なる仲の良さも、その要因ではないかと思う。

 

「仲が良い」とウケが良い

 私の癖で、すぐにお笑い芸人に例えたがるのだが、「漫才師はコンビ仲が悪い方がかっこいい」みたいな価値観がある。本番以外では口も聞かないとか、お互いを罵り合っていても、そのやりとりがお笑いになっているのが面白いとか、そんな価値観だ。

 これが、いつ頃からか薄れてきた。

 

 例えば私が知っているコンビで言うと、ダウンタウンが若かった頃などは、仲の悪い空気をまとっていた。実際にプライベートの連絡先を知らないと公言していた。それが、最近では年齢を重ねたせいもあるのか、たまに柔和な空気を出すようになった。その方がウケると分かってのことだろう。

 あるいは、ブラックマヨネーズはプライベートでもいつも一緒にいるコンビなので、「仲が良い」「珍しい」などと言われていたが、いつの間にか、それは特段に珍しいことではなくなった。

 

 仲が悪いのがかっこいいという価値観には、少しツッパリのような感覚が含まれている。また、お遊びで戯れているわけじゃないというプライドもあるのかもしれない。

 しかし、いつの間にか、そんな時代は終わった。「コンビ愛」を全面に出して表現することが好まれる。一触即発な関係より、信頼し合う関係が好まれる。お互いを悪く言うようなパフォーマンスがあっても、根っこには愛があるのだと暗に示すような表現が好まれる。

 テレビの中でぐらい、みんな仲良くやってほしいということか。我々はテレビに、そういう類の癒しを求めているのだろうか。

 

自分とは異なる者を許すということ

 では、匿名ラジオの仲の良さとは、具体的にどういうものなのか。

 その特徴は、ARuFaの恐山に対する寛容さにある。

 

 彼らのファーストインプレッションは、突拍子もないことをしでかす豪快な異端児ARuFaと、生真面目で心配性な恐山という凸凹コンビに見える。

 特に、ARuFaは面白さのために体を張ることが多く、記事でもよく尻を出したり全裸になったりしているから、そのイメージによるものかもしれない。

 しかし、何度かラジオを聴いていると、どうやら違うことが分かってくる。ARuFaはかなり計画的で、たびたび突飛なことを言うのは、常識を知った上でわざと外している確信犯的なところがある。対する恐山は、常識的なことを言っているようで結構抜けていて、普通では考えられないようなドジをする。

 #132では、恐山の様々なドジっ子エピソードが披露されている。

匿名ラジオ/#132「クソドジでポンコツな友達を救うために相談に乗ろう!」

 ARuFaは、部屋に来た恐山が帰る時によく鍵を忘れていくため、鍵をケータイの下などの見つけやすい場所にさりげなく置いておくのだと言う。曰く、「最近まんまと鍵を忘れずに帰っている」そうだ。

 

  #212では、更にARuFaの寛容さが見える。

匿名ラジオ/#212「心配性なARuFaを、恐山のような『豪快な男』にしよう!」

 恐山が、自分の不注意な性格を「豪快」と言い替えて、ARuFaに「自分のような豪快な男になれ!」と言う。

 しかし、恐山の言う豪快は、自分のドジをなおさない為の言い訳のようだ。

 例えば、約束の時間に遅れそうな時、わざとコンビニに寄ってスイーツを眺めて遅れてしまう。これは、原因が自分の準備不足にあると認めたくないので、遅れた原因をコンビニに寄ったことだとすり替える防衛本能だ。これを豪快と言うのはかなり苦しい。

 最終的に恐山が「許してよ! 今までのこと全部!」 と開き直ると、ARuFaは「許してるだろ、毎回!」と返す。

 

「仲の良い同僚」という夢

 断っておくが、別に、ARuFaと恐山は実際には仲が悪いのだと言いたいわけではない。

 いかに仕事と言えど、もう4年以上もの間、週1のペースでラジオを投稿し続けているのは、仲が良くなければ難しいことだと思う。

 しかし、彼らも生身の人間だ。調子が悪い時もあれば、同じ組織に属する中で、難しい関係になることもあるのではないかーーと、そんなことを少しも邪推させない完璧な仲の良さだ。

 

 これは、夢を提供していると言っても良い。

 現実を思い起こしてほしい。ぐったり疲れた仕事帰りの夜を思い出してほしい。

 職場では人と人との間で板挟みばかり。そう言えば、会社の同僚とは研修の時に飲みに行ってそれっきり。みんな忙しい上に、こんなご時世だ。大学の友達とは、なんとなく疎遠になった。成り行きで入っただけのグループLINEは100以上も未読がついているが、今更気にならない。Facebookには10年以上会っていない友達の大人びた顔。

 

 そんな夜に、匿名ラジオは人間関係の理想を見せてくれる。まるで夢かと思う。どこか遠い異国の夢かと。

 大人の男2人が笑い合っている。ふざけ合っている。まだ何も知らない無垢な子どもでもあるまいに。しかも、彼らは会社の同僚同士なのに。学生時代からの親友でも、幼馴染でもないのに。

 私がさっきまでいた会社との、この違いは何だ。

 

諦めと許しと他者理解

 一触即発な関係より、信頼し合う関係が好まれるというのは、それだけ多様性と他者理解に対して関心があるということだろう。人は、どのようにして分かり合うのか? あるいは、永遠に分かり合えないのか?

 そんな不安を、匿名ラジオは払拭させる。

 

 ARuFaは恐山に鍵を持って帰るよう、殊更に注意したりしない。そっとケータイの下に鍵を置いて、忘れないように持って帰らせる。それは、諦めと許しだ。

 つまり、彼らは、程よい距離感で程よく認め合い、程よく放置し合っている。異なる者同士が共に生きていく為に必要なことだ。

 しかし、悲しいかな、難しいことだ。

 ARuFaは「許してるだろ、毎回」と言った。自分は、誰かを毎回許せるだろうか。許しても良いと思える相手がいるだろうか。

 

 匿名ラジオが時折見せる、そういう他者理解の理想形は、夢幻のような生暖かさがある。ラジオという切り取られた瞬間の関係性のみを見ているから、リアルなようで、リアルではない。リスナーは、「仲の良い同僚」という夢を見せてもらっているのだと思う。

 

 

匿名ラジオはオタクの良質な現実逃避

「匿名ラジオ」をよく聴く。毎晩寝ながら聴いている。ほぼ精神安定剤に近い効能があるので、今日はその魅力について書く。

 

 匿名ラジオとは、オモコロというWebメディアのライターが配信しているWebラジオで、Youtubeでも視聴することができる。

 パーソナリティは、人気ブロガーのARuFaと、小説家としても活動しているダ・ヴィンチ・恐山。ネット歴・Twitter歴が長い人は、おそらくこの両者をどこかで目にしていると思う。

 

中身のない話は、現実逃避に向いている

 匿名ラジオには、ラジオにありがちな「コーナー」がない(初期には少しあったが、最近は募集していない)。ふつおたの募集はしているが、滅多に読まない。

 基本的には「根暗なオタクが教室の片隅でだべっている」といった感じで、たいていアニメや漫画の話か、「ない話」をしている。

 

「ない話」とは何か。

 分かりやすい代表的なものは以下の3つだ。

クレヨンしんちゃん」のかすかべ防衛隊のメンバーが成人して、飲み会を開くことになった。そこに自分も呼ばれた場合、どんな席順にすれば盛り上がるのか!? という話だ。

「絶対にない話」「起こり得ない話」「考えても意味のない話」を真剣にしている。

 これも、タイトル通り「どうすればいいのか?」を真剣に話している。「忌みポケモンはいるのか?」「バリヤードを連れて行ったら不謹慎か?」」とか。普通ぱっと思いつかないが、言われてみると納得できることばかりだ。確かに、葬式にバリヤードは連れて行きたくない。

 もう、「どうすればいいの?」というのがわざとらしく、小憎たらしく感じられる。

 上記三つ全てに言えることだが、問題提起そのものがクレイジーだ。「マリオが主催する立食パーティ」という前提がそもそも仮定の話なのに、それに「誘われたらどうすればいいの?」と考えることは不毛すぎる。

 

 他にも、アニメ以外では以下のようなものもある。

 タイトルが分かりやすく、なんだか鼻息が荒くて面白いのでこの二つを挙げたが、これ以外にも、仮定の話をしているのはいくらでもある。

 

 更に発展系として、本当に「ない話」をあるかの如く話したりする(ネタバレになるのであえて紹介しない)。

 途中で、段々と「あ、嘘なんだな」と分かってくるのが楽しいし、慣れてくると、タイトルを見た時点で「あ、今回は嘘の話だな」と分かる。それでも「もしかしたら本当かもしれんな・・・」と期待して聴いて、やっぱり嘘だったりする。狐につままれたような気分になることも珍しくない。

 

 中身のない話、現実にはない話。これらは、現実逃避をするのにとても向いている。実利も実害もないからだ。

 しかも、不思議なことに、何度聴いても飽きない。中身がなく、話の内容をあまり覚えられないからかもしれない。

 

時事ネタの排除と炎上対策による安心感

 内容の面白さは勿論大切だが、安心して聴けるというのも大きな魅力だ。

 

 まず、時事ネタが無い。政治の話もスポーツの話もニュースの話も、流行しているアニメやアイドルやアーティストの話も一切しない。

 二人ともアニメや漫画をたしなむオタクであるにも関わらず、これだけ『鬼滅の刃』が流行っている中、会話の端にも出てこない(鬼滅の刃を見ていないか、あるいは意図的に流行モノを避けているのではないか)。

 コロナの影響で一時オンライン収録になった際も、コロナの「コ」の字も出さない。匿名ラジオの世界は、俗世間とは別の次元にあるように感じさせる。

 現実逃避のために匿名ラジオを聴いているリスナーにとっては、雑音がなく、大変聴きやすい。

 

 次に、特にARuFaがネットでの活動が長いが故に、ネットリテラシーが非常に高く、炎上対策に余念がない。

 ラジオでも言及されていた例として、ARuFaがオモコロで執筆した「【検証】場所によって「トイレの落書き」の質は変わるのか調べてみた」という記事がある。原宿のカフェ、新宿のバー、自分が働く会社、それぞれのトイレに落書き用のメモ帳を設置して、場所によって落書きの内容がどのように異なるのかを検証した記事だ。

 トイレにメモ帳を設置している写真に、「内容はネットで紹介させていただくかもしれません」という張り紙がさりげなく写っている。人が書いた落書きを勝手にネットで公開しても良いのか!と言うクレームを予想しての対策だ。記事の内容を邪魔しないよう、あくまで気にする人間にだけ分かるようなさりげない挿入の仕方に、こなれ感がある。

 #232「描いてもいいよ!著作権フリーの『ツイッター漫画』のアイデアを考えよう!」では、二人が漫画のネタを出し合い、リスナーに「漫画で使っても良いよ!」と著作権フリーで提供しているのだが、概要欄には、6行にわたって「既に同じような漫画がないことを各自でリサーチしてから描くこと、ラジオで出たアイデアを漫画化したことによって起こったトラブルの責任は負いかねること」などの注意書きが載せられている。

 

 何がきっかけで炎上するか分からない時代だからこそ、こうしたネットリテラシーの高さは、リスナーとしては安心できるし、ありがたい。

 

等身大のオタクの二人

 ARuFaと恐山、両者からは、陽キャへの劣等感やパリピへの忌避感を感じる。

 恐山が#204「『スイカ割り』とか『流しそうめん』とかよくよく考えたら意味のわからん行事を考えたい!」で、陽キャのことを「生殖能力が高い人種」という、変なオブラートに包んで表現していることからも、その闇の深さが察せられる。

 

 漫画やアニメが好きな大人しい子は「キモオタ」とか「陰キャ」と呼ばれ、好奇の目を向けられた頃。ネットに詳しい子が、まだクラスに2〜3人しかいなかった頃。そんな時代を生き抜いたオタク達の進化系が、ARuFaや恐山だ。

 ARuFaは中学生の頃からブログを続け、プロのライターになった。恐山はTwitterのネタツイートで有名になり、品田遊という別名義で小説をヒットさせた。

 彼らはネット上では売れっ子なのに、「オタクの代弁者」でも「オタクの星」でもなく、オタクそのものだ。

 

(女子高生のヒソヒソ話を聞くと、自分のことをディスっているのでは?と思ってしまう話)

(髪切ってもらってる間、美容師とどんな話をしたらいいの!?気まずいんですけど!という話)

 Twitterのフォロワー80万人のライターと、各誌でコラムやエッセイを執筆する作家が揃ってキモオタみないなこと言うんじゃない! と言いたくなるが、悔しいかな、共感できる内容だ。

 彼らはオタクのままに大人になり、オタクのままに有名になったのだ。皮を被りも脱ぎもせずに。

 

 

 教室の隅でダラダラ喋るオタクの輪に入りたい人にも、それをこっそり盗み聞きしたい人にも、オタクという人種をただ観察したい人にも、匿名ラジオをおすすめしたい。

 そして何より、良質な現実逃避の手段を探している人は、是非一度聴いてみてほしい。

 

藤森慎吾の、人を選ぶ力

 オリエンタルラジオ吉本興業退所に際し、Youtubeで緊急会見を開いた。

 中田敦彦は昨年から活躍の場をYoutubeに移しており、吉本工業を退所した宮迫博之Youtubeで番組を始めていたことから、意外性は薄い。来年にはシンガポールへの移住まで予定しているのだから。

 藤森慎吾は、テレビのレギュラー番組や俳優業も行う中で、順風満帆に進んでいるように見えた。退所することのメリットが判然としない。

 今回の件で注目すべきは、藤森慎吾の退所である。

 

 最初に退所を決めたのは、やはり中田敦彦。1年ほど前から事務所と話し合いを続けた末、今年11月に退所を決めた。

 藤森慎吾はそれを聞いて半月ほど悩んだ末、退所を決め、今に至る。

 中田敦彦は当初一人で退所する心算をしていたが、それに藤森慎吾がついて行く形だ。

 

自分を活かしてくれる人を選ぶ力

 中田敦彦から退所の意向を聞かされ、自分の身の振り方を問われた時の藤森慎吾の気持ちを想像するだけでドキドキする。まさしく人生の岐路。取り返しのつかない決断だ。

 いかな守るべき家族がいない独身貴族とは言え、今の藤森慎吾にどんな打算があって吉本を退所するのか。会見では「そっちの方が楽しい」といった表現で濁しており、真意は分からない。

 多分、藤森慎吾は、中田敦彦という人間に賭けたのだと思う。

 

 人生の岐路に立った時、道を見分ける力、選び取る力が試される。

 今まで芸能界で生き残ってきたのは彼自身の実力によるものであることは前提として、誰の側にいれば活躍できるか、誰について行くべきか、それを見抜く力が抜群にある。

 オリエンタルラジオがコンビを組む際も、藤森慎吾から中田敦彦を誘ったということだから、藤森の人を見抜く力は天性のものだ。

 

 会見でも「自分で作り出したり考えたりが得意ではないので。そういう人が隣に居てくれるというのは、自分を活かしてくれる」と言っている。

 誰の隣に居るべきかをよく理解している。そして、それを貫くことで、人生が好転することを知っている。

 

「会社を辞めることはそんなに重大なことじゃない」

 中田敦彦は、シンガポールに移住することについて、「事務所を辞めることも、海外に移住することも、そんなに重大なことじゃない。だから、日本人はもっと気軽に自分の仕事を選んで良い、自分の住む場所を選んで良いというポジティブなメッセージを発信できていけたら」とコメントした。

 

 藤森慎吾は、吉本の先輩達から連絡をもらい、暖かい言葉をもらったことに涙した。

 彼にとって、会社を辞めることが重大でないわけがない。

 

 この温度差が、オリエンタルラジオらしい。

 かたや1年以上事務所と話し合いを続け、Youtube活動やオンラインサロンや海外移住等との兼ね合いから、退所という道を選びとった。「会社を辞めることは重大なことじゃないと日本人にメッセージを発信したい」と志も高い、インフルエンサー中田敦彦である。

 かたや年の瀬にゴルフをしていたら相方からLINEで退所する旨を報告され、身の振り方を問われる。半月悩み抜いて、相方について行くことを決心する。可愛がってもらっていた先輩方にも挨拶をしたいが、全員にお会いできるわけではない。電話をする。相手からも電話がかかってきて「何があってもお前の先輩やから」と言われ、涙する藤森慎吾。

 温度差で火傷する。これがオリエンタルラジオの独特の空気感だ。

 

稀に見る円満さ

 不可解なほど円満だ。絵に描いたように。会見という作られた場だから、それが際立つだけなのか。

 見ていると少し不安になる。円満さの後ろに、何か影が隠れてはいまいかと。

 

 二人の船はこれからどこへ行くのか、どこまで行くのか。オリエンタルラジオの新たな船出を祝福し、応援したいと思う。

 

宮迫博之はYoutubeを選ぶのか

 宮迫博之中田敦彦が、Youtubeで「WinWinWiiin」というトーク番組を始めた。

 豪華なセット、観覧客を入れての収録、立派なオープニングムービー。ほとんどテレビ番組と遜色ない。

 毎回1人のゲストを呼び、ゲストの活動内容や魅力を、中田敦彦のプレゼンスキルで紹介し、宮迫博之トークスキルで掘り下げる。

 

 第1回目のゲストが手越祐也第2回目がキングコングの西野亮廣だった。

 個人的には両ゲストの活躍について詳しくなかったが、そんな人にこそ、分かりやすく作られている。是非見てほしい。

 

アメトーークに戻るため、越えるため

 

 WinWinWiiinは、もともと中田敦彦から宮迫博之に持ちかけられた話だった。

 中田は宮迫に、「アメトーークを超えたいの? 戻りたいの?」と問いかけた。その答えは、「アメトーークは実家だから、実家に帰りたい」というものだった。

 中田敦彦は、WinWinWiiinの企画会議の動画で、宮迫博之を起点としたテレビとYoutubeとの関係性を「前妻と今の妻」という言葉で表現している。

 

 企画会議の動画でもうっすらと言及されてはいたが、第2回目のゲストである西野亮廣も、WinWinWiiinは宮迫博之がテレビに戻るための足がかりになると言った。

 普通のYoutubeの動画がどれほど人気になっても、それをテレビに持ち込むことは難しい。しかし、テレビ番組を模したトークバラエティ動画が人気になれば、それをテレビ業界に逆輸入することは、不可能ではない。

 

 豪華なセットを背景に、観覧客の歓喜の声と拍手に包まれ、ゲストとトークをしている宮迫博之は、安心感があった。テレビで見慣れた、しっくりくる「雨上がり決死隊の宮迫さん」だった。

 

テレビへの拒否感

 テレビが好きか嫌いかは別としても、宮迫博之がテレビ業界を干されるまでの一連の流れは、誰もが不可解に感じたと思う。

 SMAPの解散騒動にも言えることだが、テレビ業界の暗黙の了解やしきたりや忖度は、我々一般人には理解しがたく、不気味で、前時代的に感じる。

 宮迫チャンネルのファンの中には、「いつかテレビに戻ってくれる」と信じて応援している人もいるだろう。しかし、テレビを見ない人からすると、「あんな場所に戻らなくて良い。ずっとYoutubeでやっていてほしい」と感じる。子ども達の中には、Youtube宮迫博之を知った・好きになったと言う子もいるだろう。

 

 せっかく今Youtuberとして活躍しているのに、それを、テレビへの復帰のための足がかりに過ぎないと言うのかーー。もちろん、Youtubeも本気でやっているのは分かっている。だが、こうして応援して応援して、応援した先にいなくなるのかーーそんなジレンマがある。

 

 しかし本人は、テレビ業界で育った。吉本に育てられた。テレビに出ることが正義と思って生きてきた。簡単に変わるものではないと思う。

 本人が今辛いのであれば、帰りたいと言うのであれば、その努力をとめることは誰にもできない。

 

宮迫博之Youtubeを選ぶのか

 WinWinWiiinを応援することは、果たしてYoutuberとしての宮迫博之を失うことに繋がるのか。

 それとも、WinWinWiiinが盛り上がってもっと面白いものになれば、宮迫博之はテレビに戻りたいとは言わなくなるのか。

 そういう構造が、視聴者に隠されずに語られる。

 

 中田敦彦は、「Youtubeでもっと面白いことができれば、もうテレビに戻りたいとは思わなくなるんじゃないですか」と言う。WinWinWiiinでアメトーークのようなトークバラエティができて、それがアメトーークを上回ったなら(何をもって上回ったと言えるかは分からないが)、宮迫博之アメトーークへの未練を捨てられるのではないか、と。中田敦彦は「それが俺のゲームだ」と言う。

 これは大変うまくできている。

 つまり、宮迫博之をもう一度テレビで観たいと思っている人も、このままYoutuberとして活躍していてほしいと思っている人も、どちらをも味方につけることができるのだ。

 もしかしたらテレビに戻れるかもしれない、もしかしたら戻りたいという未練を断ち切るきれるかもしれない。そう匂わせながら。

 

 宮迫博之は、アメトーークに戻るため、WinWinWiiinにかけている。

 中田敦彦は、WinWinWiiinを、アメトーークを越えるトーク番組にしようとしている。

 そこには「Youtubeはテレビを越えるか?」という命題が隠されている。WinWinWiiinは、テレビとYoutubeという対立構造を知るすべての日本国民に向けた番組でもあるのだ。

 その歯車は、宮迫博之の芸能人生と絡み合いながら、今まさに回り始めたと言える。